『田園に死す』
寺山修司没後20年記念映画祭
日時:2003年5月8日20時40〜
場所:大阪九条 シネ・ヌーヴォ
これね〜、恐い映像だわ。青森ではないけど、めっさ田舎に育った私としては、何となく近い感覚もある。
16歳の“私(主人公)”が青森で母親と住んでいる家が、まるで母屋(おもや)を連想させられた。
小さい頃から私は母屋に行くのが苦手でねぇ(^^;)
今は亡き祖父の笑った顔なんて見た事ないような気がするし、おじちゃんもおばちゃんも、恐かった。
それも、母屋が、映画の舞台として使わせて欲しいとの依頼が来るほど重みのある昔ながらの造りだったので、なおさら近寄りがたく思えた。
(今は、母屋中の写真撮りたい〜〜って思える位に魅力的な建物だが、やっぱり苦手で行きたくない/笑)
黒光りのする大黒柱の梁に燕が巣を造っていて、夏でも家の中だけはひんやりとした空気が漂っていた。
使わなくなった祖父の書斎には昔からの本がたくさん積み重ねられていて、部屋中が、昔の本独特のカビ臭さで充満していた。それが、私にとってはどうにも非日常的で。
かつては旅宿だった建物なので、とにかく広い。広い上に、私は母屋が苦手だった事もあり、
ほとんど家の中を歩き回らなかったので、未だに謎の部屋、謎の階段が闇へと続いている。
苦手だった理由の1つとして、“死”との結びつきもあるかな。大概、御先祖様の墓参りをしてから母屋へって自転車の散歩コースだったから。
しかも、その墓地の敷地内に『父の入る予定の墓』まであって、父は良くそこの草引きを自らしていたのよねぇ(−−;)
子供心ながら、この敷地は何なのだ!?ここに入るの?!ってかなり恐かった。今考えりゃァ土地が高くならんうちに買っておこうっていう考えだったのがわかるけど。
んで、母屋に着いたら仏壇が置いてあるわ神棚にお供え物をしてるわで、忌み嫌われている世界が身近にある事を知らず知らず感じてたのな。
って、母屋を語るとエンドレスに続くほどに、生まれてから18年ほどは私の鬼門だった(それは言い過ぎ/笑)。
でも、冷静に考えると、祖父だって笑った事はあるし、行く度に非日常を感じていたわけでもない。
(いや、確かに謎の部屋、謎の階段はあちこちにあったんやけどね!見取り図描けと言われても私にはさっぱりわからん)
ただ、子供の頃ってたとえ嫌でも、それが全て自分のわがままであるとしか認識させられないし、選択の余地もなく、母屋へも、
“行きたくないけど行かなければならない場所”として強烈に印象に残ったんだなぁ。
寺山さんの『田園で死す』のイメージも、そんな子供の頃ならではの記憶によって創られたのかなって思った。寺山さんにとってのテーマは、“母親”だったようだけど。。
そしてスクリーンに釘付けになったのは、その内容ももちろんの事、場面場面の魅力!!
1コマ1コマが抜群に眼に訴えてくる。好きなシーンは、やはり犬神サーカス団でしょう。屈伸運動してる人最高〜。
黒マントを被った幾人かのおばば(あえてこう呼ぶ)も!特に機織りおばば!2回目の回想シーンでの織り方はひどすぎ!(笑)
雛人形が川を流れて来るシーンは、い、意味はわかるけどちょっとギャグ(笑)?って位にどんぶらこ〜どんぶらこ〜って流れてましたな。。。
笑うシーンではないはずなんだが(^^;)
でもやっぱりナンバーワンは白塗りしてシルクハット被ってタキシード着ている人かな。。。
何故白塗りにシルクハットが素敵に見えるのか。。。謎だなぁ。母屋の見取り図より謎だ。
う〜〜ん、やはり寺山修司はすごかった!!
封印されかかってた記憶まで呼び起こされたよ。。。
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