は知らない


日時:2004年8月15日17時00〜/20:00〜
場所:京都河原町四条『Gallery B-LIFE Cafe』



劇が始まる前に、ちょっとした説明があったおかげで、
昨日はわからなかった劇の流れが今日はよ〜くわかった!

脳が欠けて、言葉を音としか認識できない研二。
そんな研二が突然の死を迎え、その死に関わる家族の話。
3つのスクリーンに文字と映像が映し出され、物語は始まる。


一家は『森町』に住む。
郵便局長を勤める父、一二三(ひふみ)。研二は一二三の言葉だけを言葉として認識できる。
母と、都会から帰ってきて毎日鏡台ばかり見つめて過ごしている姉。
何年か前に家を出てから音沙汰の無い兄。
真っ直ぐ曲がっている研二を、少し羨ましく 思う。

雨が降り続く。止まない雨。青い傘を差し、一二三が佇む。雨に濡れた植物のような映像が、重なる。
叔父「雨の日には植物に水をやらなくてもいいんだよ」
研二「でも どちらでも良いなら やっぱり水をやっても良い?」

研二は、叔父から貰った植物図鑑を毎日毎日見ながら過ごす。
そして、姉の部屋、兄の部屋、森町の通り・辻に植物の名前を付ける。物に名前を付けないと考えがまとまらない。
だから いっそ すべてに名前を付ける。
兄の部屋からは「ハマユリの歌」がよく聞こえていた。だから、『ハマユリの部屋』。
ハマユリにはニシハマユリとヒガシハマユリがあって、海岸線に群生する。
図鑑を見て、研二はハマユリを探しに海岸へ向う。 帰ってこない兄へ渡すための、ハマユリを探しに。
しかし、線路を歩いて海岸へ向っていた研二は、電車が来るのに気付かず、轢死。
死んだ研二を、何もわからない研二を、家族があの世へと送り出す。
残された者の、死者を想う気持ち。
一二三の、家族を想う気持ち。
空知らぬ雨がぽろぽろと落ち、止まらない止まらない(><。)
家族のそれぞれの気持ちが、想いが 交じり合って重なりあって。。映像も音楽も絶妙に絡み。
姉一人、母一人、においても溢れるような想いが。

そして何よりも大黒柱!カゲロヲさん演じる一二三(ひふみ)!
やはり呑み込まれてしまいました。50分間どっぷり。スーツ着て傘持って佇んでいるだけで魅せられるのは何故?
ヌヒトと一二三とのやり取りシーンでは、ぎゅ〜っと胸を締め付けられるような悲しみと無念さが伝わってきた。
天へ昇る研二とヌヒトに、上へ昇る蛍のような光の映像が重なる。
あと、映像の研二が線路を向こうへ向って歩く姿が、生身の立ち尽くす研二に重なるシーン!
魂が離れていく様子のようだった。
お盆って、残された人のためにあるんでしょうね。

いつもいつも思うのですが、ロヲさんの劇は、台本で読みたくなる!
部分的に思い出すだけで、良い言葉だなぁって思う。
「幾千粒の 雨の矢が〜・・・」
聞き取れなかった、読み取れなかった 言葉、たくさんあるもんな。。
この日は、外も雨。


ふっと「雨の日の水遣り」の話を思い出した。

あるクラスに一人の知的障害児がいて、何をやっても途中で放り出してしまう子どもであった。
ある日学級花壇の手入れをしたとき、 いつになく興味を示したので、花の水遣りをやらせてみることにした。
初めはうまくやれなかったが、少しずつていねいに花の根元にかけることを覚えていった。
ある日、先生が教室から外を見ると雨が降っていた。
水遣りも今日は休みだろうと思ったが、ぼんやりと人影が見えた。出てみると、花壇に彼の姿があった。
教えられた通りていねいに水をやっていた。声をかけると、雨具をつけていない校長の姿を見て、
自分のカッパを脱ぎ、濡れるから着るようにと渡すのであった。その時先生は突然さとった。
無意識のうちに自分のほうが優れていると思い、与えることしか考えなかったが、人はみなすばらしいものを持っている、という事を。
無益なはずの「雨の日の水遣り」が、人に感動を与えることもある。

って話。