『結婚は、“私”を改造できるか』
日時:2004年11月13日15:30〜
場所:アリス零番館-IST
エメ スズキ×ロヲ=タァル=ヴォガ 共同作品
演出・音楽:近藤和見
■演出家ノート■近藤和見
古事記の一説に「このただよへる国を修め理り固め成せ」と、ある。
それほどの使命を天つ神三柱から、イザナキ・イザナミの二柱の神は受けた。
そして二柱の神は結婚(まぐわう)し無数の子を産む(国土・物質、あるいは仕事)。
私たちの考えは拙く儚い。知識はあらゆる存在に無力である。
根本の部分で、発見はし得ても、その存在を利用できても、存在に意思に、無力である。
私たちはこの世界の中空に漂う海月だ。海流に乗り、ある者は北へある者は南へ。
まるでこの世界の時空に降り注ぐ雨雫。地面を叩き、ある者は西へある者は東へ。
死と生のイメージを映す農耕のシルエット。
あらゆるものは相対する。相対性の中心に私が、あなたがいる。
それらは、国の始まり、である。
。。。わからない。
とてもわからない。
これは、古事記を読まないと話の少しも見えてこないんじゃないかしら?
14歳で恋して分かれて以来、ひたすら古事記(国文学)の研究に没頭してきたK助教授。
ようやく心に決めた相手と巡り会い、結婚を決意する。それで古事記の研究が疎かになったかと言うと、むしろますます研究に身が入るように。
というのがプロローグ。舞台中央のスクリーンに絵が映し出され、近藤さんの文(声)がかぶる。
さて、劇の内容はここからなのですが。。。
ちょっと頭が混乱しておりまして、感想書ける状態でもなく。
何がどうなったらそうなってこうなるのか??クエスチョンマーク盛りだくさん(劇の内容じゃなくてプライベートで)な今日この頃です。
人の気持ちって謎??ちょっと怖い。
混乱していたからセリフが頭に入ってこなかったのか、それとも難しかっただけなのか、判断できず。
とりあえず、終わり方はまたもや唐突でしたね。えっそこで終わる?みたいな。
良いセリフもあったんですけどね。。確か。 古事記についてのK助教授とJ君の問答は、ちと難しすぎましたね。。。私には。
夜の部も観る予定だったのですが、コンディション最悪にて、断念。
一緒に行った友達と甘い物食べながら延々とお話しておりました。
−−−↑1時間後↑−−−
やっぱり書けることは書いておこう。
出だしの曲が良かった。
K助教授(カゲロヲさん)と、左上の机に座っている人たちも良かった。お母さんの味わいあるセリフも良かった。
しかし、結婚式のシーン、準備が長すぎ!延々と大人数で用意した挙句、正直な話、主役の花嫁花婿に目がいかなくなる。
というか邪魔。
普通に披露宴に来た気分になったのですが。。。悪い意味で。
劇全体は、流れが散漫。
ぷつっぷつっと途切れ途切れ。おかげで、たまに良いセリフがあっても覚えてないんだと思う。
花嫁の弟が姉を思って語るセリフなんて、良かったと思うのですが。余韻を残さない。
エメさんの動きはすごいですね〜見惚れてしまいました。階段を歩くシーンとか。。
そしてもちろんカゲロヲさん。「添い遂げて。。」「死ぬのか!?」以降の動きには うなってしまいますね。
動きにひたすらナレーションがかぶってて、それがまたかぶりすぎてて しかも内容が??なので、頭が飽和状態。
もっともっと削ってくださいーーーー!!
そうとうな意味が含まれていそうですが、考えるのを放棄してしまうほどでした。
あれほどの人数は必要なさそうです。役者。
なんというか、近藤さんの作品は「テキストを読ませてください!」と言いたくなるのです。
劇を観てから、改めて台本を読むと堪能(納得)できそうです。
それもどうなんだか。
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