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2000年2月22日 お悔やみ欄。 |
お悔やみ欄。何故でしょうね。常にチェックしているわけでないのに。こんな日に限って、目に飛び込んでくる。 息が止まりました。はっえぇぇぇぇぇぇぇ?え?亡くなった? 私、ワッサーに会いたかった。絶対、会いたかった。 舞洲の工場が完成したら、日本に訪れるのでは? って、思ってた。 工場の完成する4月には、来るかなって。ドキドキしながら、私、待ってました。 英語喋れないけれど、伝えたい思いはいっぱいあったのに。 亡くなるなんて、想像もしていなかった。 私、この日この記事を見ていなければ、しばらくその死を知らずにいたんでしょうね。 きっと、画集か何かで知ることになったんだろう。って思うと、それよりはマシか。。。って。 あんまりにもショックで、そちらこちらの友達に訃報を知らせてまわった記憶があります。 ワッサーが!ワッサーがっっ!って。 そして、その1ヶ月後にはオーストリアへ飛び立ちました。 ワッサーが残したものをこの目で見に。 ワッサーの死を、なかなか実感できずにいたんですが、この旅で出会った彼を知る小母さんが、 「ワッサーはニュージーランドに住んでいて、そこには自然とワッサーだけが 存在していた。 ワッサーは最期まで自分の思う通りに生き、そして死んでいった」 と涙ながらに語ってくれて、そっか。。。。幸せだったんだ。。。 って。染み渡りましたね。。。心に。 死後、生前の願い通りに、一本の木の下に埋葬されたと聞いています。 木々の養分となり、今、大気と溶け合っているんでしょうね。 生前も、死後も、変わらず自然と共に。 私、今が一番ワッサーの近くにいるのかもしれない。 幸せですね。 |