[Spiral]
HUNDERTWASSER と 渦巻関係
HUNDERTWASSERはごく幼い頃から自然と、絵に渦巻きを好んで描いていたそうです。
ワッサーの描く絵に、渦巻きが意識的に存在するようになったのは、1953年に映画「狂気のイメージ」を見て、強い印象を受けたことによります。
(この頃から、作品に渦巻きが登場し、直線批判が始まる)

HUNDERTWASSERにとっての渦巻きとは、
「死と再生の循環、すなわち永遠の生の象徴」または「規格にはまった直線的、全体主義的な世界に反対する象徴」でもあります。
すべての生態系が大きな渦の一部であり、互いに関係して成り立っていると考え、
そのことから、人間は下記の5枚の皮膚を持つとしています。


第1の皮膚:自分の皮膚
第2の皮膚:衣服
第3の皮膚:住まい
第4の皮膚:社会環境と素性
第5の皮膚:地球環境−生態学と人類


皮膚とは、1番目の皮膚を除いては比喩で、それらは常に自分を取り巻いているものであり、自分とは切り離せないものです。
生まれた時から与えられていて、自分では選ぶことのできない要素を含む一方で、内側にある自分を繁栄させることができるものでもあります。
それらすべてを自分の皮膚とします。つまり、自分の皮膚(体)だけが健康であっても十分とは言えないのです。

私たちは、普段何気なく水を使い、電力を消費し、それを当然のこととしています。
環境破壊と騒がれ、温暖化が問題になっていても、なかなか自分もその原因の一要素であることを実感できません。
割り箸一本、たかが一本と思いがちです。
けれど一人一人の「たかが一本」が、割り箸大量生産、大量消費につながるが事実なのです。

たとえ些細なことであろうと、一つ循環がうまく行かなくなると、次第にすべてに影響していきます。
1番目の皮膚、2番目の皮膚、3番目の皮膚。。。そして、いつしか再びまた1番目の自分の皮膚にすべては返ってくるのです。
人間もまた、循環系の一部なのです。


渦巻きとは、そんな森羅万象をみごとに表せるワッサー独自の信念です。
ごく単純なようでいて、渦巻にはHUNDERTWASSERの信念すべてが詰まっています。
大地からの恩恵を食べ、排泄する、それがまた肥料となって大地を潤す。そこにはなんの過不足もなくうまく生態系の渦が巻いています。
HUNDERTWASSERがなぜ葛飾北斎の版画を見て衝撃を受けたのか、なんとなくわかる気がします。
北斎の絵には、HUNDERTWASSERの理想が描かれていたのです。
草鞋を履き、菅笠をかぶり、自然と共存して生きている世界が。
そこではすべての循環がうまく機能し、人と自然は助け合って存在しています。

HUNDERTWASSERの言葉を書き記してこの文を終りにします。


「…渦巻は植物のように成長し、死んでゆく。渦巻の描く線は、蛇行する川のように、植物の成長の法則に従っている。
それは、独自の進路をたどりながらも、法則通りに進んでゆき、あやまちを犯すことはない。
…すべての星座も植物の胚芽も渦巻の形態をしており、人生も渦巻なのです。
…それに対して、直線は非創造的な線であり、虚構の線です。自然の中に唯一存在しない線、それが直線です。
社会や文化が、存在することのない直線にもとづいているとすれば、やがては全て崩壊するでしょう」